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糸井重里さんの言葉です。(改行勝手に変更)
『せいくらべ』という歌があります。
歌いはじめが「柱のきずは、おととしの」ですね。
こどもが、背の高さのところにきずをつけた柱をみて、いろいろのことを思っているんですね。
「柱のきず」そのものは、ただのナイフの跡なのに、その柱のきずは、見る人にいろんなことを思わせる。きっと、空に浮かんだ雲でも、道端に落ちている軍手でも、野良猫の昼寝でも、同じようなことがあるでしょう。
そいつは、もともと、たくさんのことを語るつもりじゃなかったのに、眺めている読んでいる人との間に、いろんな思いを生み出してしまう。
いや、世界ってものは、そんなことばかりなのかもしれません。
そんなことばかりなのです。
ただのナイフの跡は、郷愁を誘う材料かもしれないし、成長を喜ぶ証なのかもしれないし、もしかしたら嫌な思い出を引き出す引き金にもなるかもしれない。
何かを見て、何をどう感じるかは、その人次第。
何かを見て、ぽわんとした暖かい気持ちを引き出せる人は幸せな人なんだと最近思う。
何かを見て、それが一般的には暖かい風景だったとしても、自分が味わったことの無いものを羨んだり、手に入れられない寂しさを感じたりする人はどうなんだろう。不幸何だろうか。
不幸とはちがうかもしれないけど、悲しい人だと私は思う。
何かを見て、何をどう感じるかは、その人次第。けれど、ぽわんとした暖かい気持ちを引き出せる人でありたいと思う。けれど、そんなことをコントロール出来るなら苦労なんてしやしない。