無いものねだりなのは、解っているけれど。

巨大化する『Google』にひそむ危険性


上記記事、読みました。
はっきり言って難しいことはよく解んないし、この記事について何か意見を・・・などと思っている訳ではないので、リンクの意味は無いのですが・・・


でも読んで思ったことは、怖い!すごく怖いです。巨大なものが怖い。何かを掌握しようとするものが怖い。
便利になることが、自然じゃない何かに動かされて行くことが。
人間てどんどん目先の便利さに囚われて、大事なものを捨ててきたと思う。
こうやって使っているパソコンだって、生きるために必要なものじゃない。ただ便利なだけ。
洗濯機だって、冷蔵庫だって無くたって生きている。
あったらやっぱり便利だけど、無かったら一人暮らしなんて出来ない。
そういうものが無かったら、家族みんなで仕事を分担して、おじいちゃんもおばあちゃんも、ちゃんと役割があって、ひとりぼっちじゃなく、ひとつ屋根の下で暮らしていくしかないのでしょう。
でもそれが不便な生活でも、そこにはきっと何かがあると思う。
私はあまり大家族では暮らしたことがないけれど、何にもなくて、何かがあるそんな生活に憧れる。


太陽を敬い、雨の恵みに感謝して、四季折々を身体で感じて、自然に生かされて。そんな生活じゃ人間は満足出来なかったんでしょうね。
文明を発達させて、どんどん心を閉ざして、ひとりでなんでもやってのけて。でもそれで何が得られたんだろうって思う。
結局いつも何かを渇望しているのかもしれない。自分が持っていないものばかりをねだっているのかもしれない。
で、その結果。。。どうなるんでしょうね。
なんだか加速的に、心が奪われているような感じがするのは、私だけなんだろうか。


クレジットカードもパソコンも、ありとあらゆる家電製品も何にも無くって、その労力をみんなが分担している世界に行ってみたい。
すごく狭い世界の中で、家族や廻りにいる人々、自然に感謝しながら生きてみたい。


無い物ねだりなのは解っているけれど。。。でももうこれ以上、心を奪ってしまうようなことはよして欲しい。ものが人を動かすなんてことはよして欲しい。
う〜ん。支離滅裂。