訃報

当たり前だけど、毎日たくさんの人が死ぬ。
たくさんの訃報を聞いて、びっくりしたり、悲しくなったり。
でも何にも思わない時もあるのよね。
多分それは、亡くなった人のことを思うのではなくて、それを私に伝えた人の思いが伝わるからなのだろうなぁと思う。
親しい人が亡くなった時は、自分の感情として、いろいろと感じるけれど、そうじゃない時は、伝えた人が悲しんでいたら、それが伝わって悲しくなる。そうじゃない時は、あまり感じないよね。


勝谷誠彦さんのhttp://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20050419で「ヴァニシングポイント」の著者奥山貴宏さんが亡くなられたことが伝えられていた。
私は奥山貴宏さんのことを知らないし、残念ながらまだ彼の著書も読んでいないのだけれど、勝谷さんの思いがなんだか伝わるような気がしたのよ。


こういう風に間接的に死が伝わってくると、悲しさより無念さのようなものがずしっとくるなぁ。
本当に親しい人が亡くなるなんて、滅多にないことだけど、そういう時には亡くなった人のことを知らない人にも、きちんと伝えた方が良いような気がした。
自分は悲しいんだ、辛いんだ、寂しいんだってことを人に伝えたら、きっと亡くなった人が素敵な人だったってことを人に伝えることが出来るような気がする。
無念さのようなものは連鎖すると思うんですよね。


上手く言えないのだけれど、そういう感情を生きている人達に連鎖させることが、供養になるような気がする。
本当に上手く言えないのだけれど。


ご冥福をお祈りいたします。