脱線事故

尼崎市福知山線で大きな事故が起きました。
この件は、ニュースでもいろいろと検証がされていますし、原因もこれから解明されて行くと思います。
たくさんの方がこの件についてエントリされていて、直接的な原因ではなく間接的な原因についても、書かれています。
ニュースを見ても、これらのエントリを読んでも本当にぞっとしています。


原因はきっと複合的に絡み合っているのだと思うのですが、単純に運転手のミスではないのでは無いと思います。
JRの会社の体質も含めて、社会的風潮もあるのでしょう。
自由競争の社会ですから、サービス向上とコストダウン、それに傾き過ぎてそこで働いている人の心がおざなりになってしまっているのだろうと。


ニュースで言われているように、スピードの出し過ぎがその原因の一端だとしたら、これもニュースで言われていることですが、その前の駅でオーバーランしてしまったことが、スピードの出し過ぎにもちろん影響しているでしょう。
安全に走行することよりも、時間を取り戻すことに神経を使ってしまった。
もうこれは冷静な判断では無いですよね。


もちろんスピードの出し過ぎが原因だと断定している訳ではありません。
置き石説もありますよね。
もし本当に置き石があったのだとしたら、どんな人が置き石をするのでしょう。大惨事になるかもしれないと言うことは、容易に想像が付くはずです。
どういう認識でこういうことをしたのでしょう。


何が原因なのかはまだ解りませんが、どういう事が原因だったとしても何かがおかしい。
冷静な判断が出来ない程、善悪の判断が付かない程、何かに追われているような印象。
それは社会的現象なのでしょうか?
これほど大きな事故じゃなくても、小さな事故が頻発していましたよね。


絶対にやっては行けないとか、何を優先させなきゃならないとか、そういうことを考えられなくなっているのではないのだろうか?
それは、小さな事故を含めた関係者ばかりではなく、社会全体がそういう風になって来ているのではないのだろうか?


本当に怖い。
社会の内側からじわじわと病巣が広がっているような感覚。
背筋が凍る感じ。
いつ自分が当事者になるのか解らない。
被害者ばかりでなく、加害者としても。
誰もがその可能性を秘めているように思う。


今これを書きながらテレビのローカルニュースで、今日札幌の線路でも意図的に板が置かれていたというニュースが流れました。
惨事にはならなかったようですが、誰がこんなことをするのでしょう?


いろいろなところに、惨事の原因は存在している。
でもそれは全て人なのですよ。きっと。