架空の話しなのだけれど。

もうだめ〜
こういう話しに弱い。どうしてこれほどまでに嫌悪してしまうのか、自分でも不思議なくらい。
今日のんびりと本を読んでいた。
それは割と好きな作家さんのもので、いつもは楽しく読んでいるのだけれど。
割と性描写の多い作家さんなんですね。いつもはそんなのも気にしないのだけれど、今日のは何だかダメです。


小学校高学年の男の子数名が、女の子の身体に興味を持つ。ここまでは良くある話し。その一人の男の子の妹を興味本位でいたずらしてしまうという話し。
この後どうなったのか知りません。本を閉じてしまったから。
私は子どもの性的虐待っていうのに、過剰反応してしまうんですよ。ものすごい嫌悪感。
自分がそういう目にあったことがある訳ではないのですが、もう読んでいられない。
どうしてこれほどまでに嫌なのか、自分でもわかりません。
これは架空のお話しで、誰かが傷付いた訳でもなんでもないってことは解るんですけどねぇ。


もう数年前の話しになるのですが、知人にロリコンの人がいました。小学生じゃないと欲情しない人。個人の趣味の問題ですから、口を出すつもりはありません。
ただ、その人が持っていた写真集。これを見た時に吐き気がしました。
小学生くらいの女の子が裸体で写っている写真集。胸の膨らみもわずかで、股間の割れ目もみえるような写真。
なんなんだこれは。これを撮る人。撮らせる人。それを作る人。買う人。汚くて、脂ぎった見たことも無い大人の顔が次々と浮かんで、怒りが爆発しました。
撮られた女の子は、この時何を考えていたんだろう。この先どう思うんだろう。自分が薄汚い大人の慰めものになったっていう事実を、大人になったときにどう受け止めるんだろう。


高校生くらいの子の写真集をみても何も思わないんですけどね。それくらいになれば、分別も多少ありますし、自分のやっていることがどういうことなのか解るでしょう。誰かに強制的にやらされているということも少ないと思います。でも小学生はいけません。
私は「強制的」ということに嫌悪感を感じるのかもしれません。それと子ども時代の思い出は、出来る限り美しいものであって欲しいという願望なのかもしれません。
子ども時代に経験したことは、大人になってからも大きな影響力があります。
経験したのではなく、させられた。自分が選び取ったものではなく、与えられた。
ここが大人と子どもの違い。もし後悔したとしても、自業自得と言えるのは、大人になってから。
子どもに後悔なんて、無いんですよ。ただ与えられただけ。そしてそれを拒絶する術を持っていない。


どうしてでしょうねぇ。小説に何を過剰反応してしまうんでしょうねぇ。
もっとふんわりした本をこれから読み直したいと思います。心が暖かくなるような。