気遣い。

今日内田樹さんの内田樹の研究室を読んで、なんだか嬉しくなってしまった。
「そうそう!そうなのよ〜そうよね〜」っていう感じ。


「わがままな人は周囲をリラックスさせる」ということはあまり知られていないが真実なのである。
逆に「無用な気遣いをする人は周囲を緊張させ、しばしば不愉快にさせる」ということもあまり知られていないので、ここに大書しておくのである。


前後の文を切ってしまったので解りにくいかもしれませんが、ここで言う「わがままな人」っていうのは、「素直に自分を出せる人」っていうことなんだと思う。
建前や見栄、社交辞令を捨て、自分の思いをきちんと伝えられる人。
素直にあるがままを話しをしている人に対して、社交辞令や建前で話しを返したら、すごく間の抜けた空間になるでしょう。
そういうときは、こちらも本音で伝えなければならない。そしてそう言う人は、こちらが本音を伝えたからと言って、不愉快になるはずなど無いと思うのです。
そしてそこは、お互いが解り合えるリラックスした場所になるのではないかなぁ。
たまに、余計な気遣いをされる時がある。すごく居心地が悪い。こちらも気遣いで返さなければ、極悪人にでもなったような気がしてくる。
気遣いすることを強要されたような気分になって、すごく不愉快になってしまうんですね。きちんと気遣いが出来ているかどうか気になって、緊張感をもたらす。


私は無用な気遣いをする人を嫌悪してしまうんですね。えぇ〜い面倒くさい!だから自分は無用な気遣いをする人間にはならないでおこうと思う。
でもねぇ。。。
無用な気遣いと有用な気遣いの区別をつけるのが、得意じゃない。
気遣いっていうのは、本来相手を思いやってやることなのだけれど、度を超すと相手を不愉快にさせる。
適度な気遣いというのは、気持ちの良いはずなんだけど、その境目がよく解んない。
今更そんなことが出来ないなんて情けないなぁと思んですけどね。苦手だなぁ。。。
で、結局気遣いの出来ない女になって、そのかわり気遣いの必要がない女になるのです。
単なるがさつな女っていう位置付けともいえますね。


気遣いかぁ。。。苦手だなぁって思っているけれど、やっぱりそれくらいのことは出来なきゃね。気をつけようっと。
でも実は、気遣いをしていないフリをして、ちゃんと気遣いをして、それで気遣いの必要がない女を目指している。
難しいけどね。