愛って。。。

愛について書く〜なんて、よそ様で公言してしまいまいして・・・
何を書けば良いのやら・・・
結論から言うと、「愛ってよく解らない」ってことです。



私が高校3年生の頃、母が交通事故に遭い入院しました。ただの骨折だったんですけど、折った場所が悪くて・・・
足の付け根の骨を折ってしまったんですね。ギプスが出来ないという理由で、1か月程寝たきり。
家族が寝たきりになるっていうのは、大変ですね。私はちょうど卒業間近の長期春休み。
家では、母の変わりに家事に追われ、病院の付き添いやら・・・
18才の私は、自分が家事をやりこなすことなど、考えたこともなかったんですね。それに寝たきりの母のシモの世話まで。
今だったら、それほど苦もなくやりこなせると思うけど、当時は辛かったですね〜
その時に思ったんですよね。
18才の私は、与えられることに慣れ過ぎていたと。


見返りを求めず何かを差し出すことは、やはり愛だと私は思う。
もし事故に遭ったのが、母ではなく私だったとしたら、母は何の迷いもなく、何の躊躇も無く、寝たきりの私の世話をしてくれたでしょう。
私は躊躇したり、「嫌だな〜」って心のどこかで思いながら世話をしていた。
与えられることは、当り前のように感じ、与えることに不慣れだったんだと思う。
でも、それでもなんとかこなしていたのは、親子という愛があったからなんでしょうね。


私は「愛」について思う時、いつも枕詞に「無償の」「永遠の」という言葉をつけたくなってしまう。そんなものが無くても、愛は愛だと思う。
でも、そういう愛が良いな〜って、小娘のように切望してしまう。
それを付けられないと、イミテーションのような気がして、「愛」という言葉を使うことを躊躇してしまう。
好きと愛の境目は?情と愛の境目は?そんなことばかり考えてしまって、「この人のこと愛してるな〜」って実感したことは、本当に数少ない。
憎しみ、嫉妬、そんな感情がわき起こってきた時に、はじめて愛していたんだなぁって思うことが多くて、でもそれは「無償」でも「永遠」でも無い。


むか〜し、むかし。母の事故があってから数年後。
当時付き合っていた男の人と、共に白髪が生えるまで一緒にいよう、と思ったことがあった。
もし、この人が寝たきりになって、植物人間になって、一言もしゃべらず目も開けず、そんな風になったとしても、私はきっとこの人のことを必要とするだろう、って思ってた。
無償でこの人と一緒にいられると思っていた。それは、永遠のような気がしていた。
でもねぇ〜
人の心に永遠など無いってことなんですよね。
その人と別れる時、一番ショックだったのは、自分の心が変わってしまったこと。
自分の中に、永遠など無い、ってことを認めなければならなかったこと。
それも、たった数年後。自分を信じられなくなって、自暴自棄になった。


それからも、男の人に対して「好きだな〜」という感情を持ったことは、もちろんあるのだけれど、それを「愛」と呼ぶことに、私は躊躇している。
家族に対しては、情ではじまり愛に変わるのだと思う。
男性に対して、好きという感情から愛に変わるのは、やはり家族と過ごしてきた時間と同じ分だけ、時間が必要な気がする。
だって愛には、感情の昂りとか、燃えるような感覚とか、なんとなく悲しくなって泣いてしまうようなこととが、必要ないような気がするもの。
もっと淡々と、粛々と。。。


それにはどれくらいの時間が必要なんだろう。10年なのか、20年なのか・・・
男の人に対して、そんなふうに長い歳月を掛けたことの無い私は、やっぱり「愛ってよく解らない」。