うつわ

 その人の人格、人物の大きさを「うつわ」という。
 なぜ「うつわ」というのだろう? などと詮無いことを考えていた。
 器が大きいなどという人は、受け止める力があるということなのだろうか。
 受け流す訳でもでも、溢れ出す訳でもなく、呑み込みそれを収める。
 そして、その受け止めたものを自分のうつわのどの位置に収めるのか。奥のなかなか手の届かないところなのか、それともいつでも取り出せるところに収めるのか。ただやみくもに自分のうつわに放り込むこと無く、適所にそれを納め、必要なときにそれを引っ張り出す。膨大な量を受け止めるだけでなく、それを整理整頓出来るってことが器が大きいなどというのではないのだろうか。


 うつわなんて、むやみやたらに大きければ良いってもんじゃないと思うんですよ。
 受け止めることは苦痛を伴うし。それを咀嚼し呑み込むには苦痛とともに時間だって必要なんですよ。あっ、うつわが小さいからこんな風に思うのか……
 いや、でもね。身の丈にあった大きさのうつわしか手に入らなくて、そして、やっぱり身の丈にあった量しかそのうつわには入れられないってことだと思うんですよ。