Lesson233 生きる実感


おとなの小論文教室。 - ほぼ日刊イトイ新聞


山田ズーニーさんの文章が大好きです。
いつもみんながうっすらと感じていることを文章にしてくれる。そんな感じがします。
自分自身の潜在意識が顕在意識に変わる瞬間に出会えるような、そんな感じです。

日々日常のなかで生きている実感なんて感じられない。でも生きてるけど。
時々、仕事だったり、プライベートな目標が達成された時に歓びを感じて嬉しい気持ちになったりするけど、生きている実感とはちょっと違うかな。

私の大好きな場所のひとつに美瑛町富良野旭川の中間点くらいのところね)があります。富良野はなんだか暗〜い冬のイメージなんだけど、富良野をちょっと春のイメージに置き換えたような場所です。
そこで、パッチワークのようななだらかな丘を見ながら深呼吸すると、頭がくらくらしてくるんですよね。それが私の生きている実感に近いような気がします。

でも、「生きている実感」と「生きる実感」ってなんだか違うような気がするんですよね。生きる実感を感じられたことを思い出せ、と言われればなんだかどろどろとした、辛さとか虚しさとか、所在無く消えてしまいそうな自分とか、やっぱりそんなことを思い出しますね。でもそれは後からそう思うのであって、その時はただただ辛いだけ。却って実感が薄いというか、実態のない自分がそこにいるような感じだったように思います。

山田ズー二ーさんのエッセイ読んでいたらなんだか安心しましたねぇ。
生きる実感なんて、感じながら生きなくても良いんじゃないでしょうかねぇ。根拠の無い虚しさとか寂しさとか、そういうものを感じながら後から「あっ。あの時も確かに生きていたな。」そんな感じ。