フジテレビとライブドア

相変わらずフジテレビとライブドアが熱いですね。
この先どうなるのか、私には検討もつかないのですが、今回の一連のことで思ったことは、私たちの社会は暗黙の了解でなりたっているのだなぁ、と。
暗黙の了解って、便利だけど、凄く不便。
日本人独特の感性なのかもしれないけど、これが無いと世の中上手く廻っていかないのは間違いないですよね。
ただこれにどっぷりと浸かってしまうと、新しいことは何も生まれないんだよなぁ。


話しは変わって・・・
私は歌舞伎の世界って素敵だなぁって思います。(詳しいわけでは、無いのですが・・・)
先日中村勘九郎さんが、勘三郎を襲名したときの特番をテレビで観ました。
それを観ながら、この伝統的な家を守るということは、想像以上に大変なことなのだろうと思いました。伝統に押し潰されそうになることも、あるのではないのかなぁと思いました。
ただ、歌舞伎の世界というのは、伝統を守るということだけでは無いようです。
そのテレビの中で、勘三郎さんが高下駄をタップダンスのように踊る演目があったのですが、それは昭和初期、タップダンスが日本に初めて入ってきたときに、新しく作られた演目なのだそうです。
もう70年くらい前の話しでしょうから、古いといえば古いのですが、歌舞伎の伝統からみればかなり新しいものですよね。
歌舞伎にタップダンスの要素を取り入れることは、当時かなり突飛な発想だったんじゃないのかな?
でもそれは、今ではしっかりと受け入れられ、新しい伝統として、受け継がれいってるんですよね。
勘三郎さんも新しい演目に取組んでいらっしゃったし、もしかするとそれがずっと、受け継がれていくこともあるのかもしれませんね。
新しい物を取り入れ、古き伝統を守る。取捨選択を繰り返しながら、緩やかに良い方向へ成長をしている。歌舞伎の世界というのはそんな感じがします。


私たちの社会の暗黙の了解っていうのは、古き伝統という側面もあるけれど、そればかりでは無いような気がするんですよね。
伝統を守るというのを建て前として、新しいものを創り出そうとしない、ただの怠けた姿のような気がするのです。
現状に満足し過ぎていて、生暖かいぬるりとした世界に、ただ浸かっているように感じるのです。
ただ、歌舞伎の世界でも、高下駄ではなく、いきなりタップシューズだったとしたら、もちろん受け入れられなかったと思うし、切り捨てられていたと思います。


堀江さんがやっていることが、タップシューズなのか、高下駄なのか、私には判別がつきません。
もし、高下駄ならば受け入れるだけの器量を持って欲しいなと思います。
もし、タップシューズならば、堀江さん、潔く脱ぎましょうよ。
見ていてすっきりしないのは、堀江さんがどっちを履いているのか私に判別が付かないからなんですよね。


フジテレビ側が堀江さんに「あんたなんか嫌いだよ〜ふんっ!」って言ってくれれば、分かりやすくてすっきりするのになぁ。
そんな次元の話では、ないですよね。でもそれが真理のような気がする。
もっと大人であることを願っていますが・・・