いのち

最近中学生の少年が海外で心臓移植を受け、帰国したというニュースを目にしました。
ローカル新聞社では、数日にわたりこの特集も組んでいて、その周辺の人々のことなども伝えています。
最近では、海外で臓器移植をするというニュースが、あまり珍しいことではなくなってきましたね。
支援団体や基金を通じて1億円前後のお金を用意して、海外へ行く。
そうすることしか助かる道が無いわけで、家族、縁者の方の必死な思いが伝わってくるようです。


もし自分の身内がそういう病気になったら、私だったらどうするだろう。
私の親だったら、私の子供だったら(いませんけど)どうするだろう。もし、私だったら・・・
もしかしたら、支援して下さる方、基金の方のお世話になって、海外まで行くかもしれません。
日本では、制度はあってもなかなか機能していないようなので、そうすることしか助かる道はない訳ですから。


村上龍さんが「半島を出よ」という本を最近書き下ろされて、最近インタビューなんかに出ていますね。
まだ本は読んでいないので、詳細は解りませんが、北朝鮮のコマンドが福岡を占拠して・・・という話しです。その中で、その他大勢の市民の命をとるか、少数の人の命をとるか、選択しなければならないという場面があるようなのです。
インタビューの中で村上龍さんは、「どちらかを助ける選択をしなければならないとき、そのどちらと距離が近いかで選択が変わってくる」というような事を言っていました。(うろ覚え)
要するに、自分の身内を助ける為ならば、そのせいで大勢の人が犠牲になったとしても、身内を選んでしまうと・・・
うん。最もな話しだな。それが人情っていうものなのでしょう。もっともな話しなんだけど、なんだか目からウロコって感じがしました。
この小説がどのような展開なのかは読んでないので解りませんが、もし少数の人命が優先されたのなら、その人たちは特権階級の人なのでしょう。
選択権のある人の身内というのも、本人が社会的地位だとかある、ないに関わらず特権階級なのだと思います。


臓器移植の話しに戻りますが・・・
多くの日本人が、多額の費用を掛けて、臓器移植をしていて。
もしかしたら私が、私の身内が、そのような状況になったときにも、そうする可能性が無いとは言えない訳で。
日本にいる多くの人々が多額の費用を投じることが、出来る可能性を持っている。
特権階級だな、と。


数十円で助かる命が、この世界にはたくさん存在しているのに、そのことに対する報道はすごく少ないように思います。
億というお金を投じて、助かった命の話しは、数日間にわたり新聞報道され、その周辺にいる人々の心の葛藤までも細やかに伝えられて行く。
数十円で助かる人々の周りにも親や子がいて、泣いたり叫んだりしているはずなのに、そのことは私たちの耳には届かない。


多額の費用を投じて、臓器移植をすることを非難している訳ではありません。身内の立場になれば、その気持ちが分かりますから。
でもそんなのって、やりきれないような気がする。そんなことって悲しいって気がする。それだけのことなのだけれど。
命ってお金で買えるんだなぁと思って。。。