何かを読むということ

本を読んだり、誰かのブログを読んだり、毎日誰かが書かれたものを読む。そしていろいろなことを感じて、いろいろなことを思う。
でもそれは書いている人の本意じゃないことも多い。今こうして書いているものもよしもとばななさんとはほとんど関係がない。
私が勝手に思うところがあるだけで、それはたった一行だったり、たった一言だったりする。
心が動くっていうことは、心が動く準備が整っていたからだって思う。ただきっかけを待っていただけなんだって思う。
人が書いたものが痛くて、刺さって仕方が無いこともある。だけどそれだって、私を攻撃するために書かれたものじゃない。
大抵の場合図星だから。目を背けていたことを突き付けられたような気がするから。
書き手の問題じゃなくて、全ては読み手の問題。
何かを読むっていうことは、覚悟が必要なのかもしれない。地雷がどこに埋まっているか解らないように、どんな文章にどう響くものが埋まっているのか解らない。それを踏んでしまうまでは。
でも何かを踏みたくて、きっと何かを読み続けるのでしょう。