幸せのかたち2

昨日ブログを書きながら、なんとなく釈然としなかった。自分の言いたいこととはちょっとずれているような気がして・・・
でもvedaさんにコメントいただいて、言いたいことが少し解りました。
結論から言うと、「私は○○の○○さん」っていうような個がないがしろにするようなことが嫌なのです。
自分がそういう風にされるのも嫌だし、人をそういう風にするのも嫌です。
でもそれで、満足している人も多いのも事実だし、それをあれこれいうつもりはないのですが、昨日はあれこれ言いたくなってしまったんですね。
なぜあれこれ言いたくなってしまったかと言うと、ちょっぴりだけど羨ましかったんですよ〜


個を大事にしたいっていう気持ちには変わりないです。
でも、自分という存在が大事にされなかったとき、(そんなことは会社勤めをしていても、結婚してからも山ほどあるでしょう。)私はヤダ〜って言ってしまうんですね。もっと私が、私がって思ってしまうんですね。
そういう自分が面倒くさい。
そんなこと日常茶飯事なのに、いちいち反応して、落ち込んだり、悲しくなってしまう自分が疎ましい。
そんなこと気にも掛けずに、幸せを感じていられる人が羨ましい。
自分というものにこだわり過ぎなんだなって思う。なんて呼ばれようと、自分は自分だし、家族の幸せが自分の幸せだと感じるのならそれはそれで、いいじゃないかって思うんですけどね。
そういうふうに出来るってことは幸せになるための幅が広いというか、幸せになる術を身につけているというか・・・
広くて平坦な道を選べばいいのに、なぜか私は細くて険しい道を選んでいるような気がする。
やっぱり羨ましいなぁ。認めたくないけど。


それにしても・・・
最近、10年ほど前の自分をよく思い出します。
自分を見つめ直すにはそこに遡るのが解りやすいっていうだけの理由ですが。
何にも変わってないな、成長してないなってことばっかりです。
私はこの10年で何を蓄積してきたんだろう。反省。でも反省するだけじゃ、何の進歩もない。
で、反省した結果どうするの?って自問自答しているのだけれど、まだ答えはみつかっていません。
進歩したい。進歩するぞ!絶対にしてやる〜と自分に叫ぶ。