祈り。

高校野球が熱いです。
と、言っても駒大苫小牧が勝ち上がっているから、私の中ではそういう印象だっていうだけの話しですが・・・
今日は大阪桐蔭との準決勝。もう仕事なんて手につきません。
5点先制していたのですが、追い付かれて「あ〜もうダメかもしれない。流れが変わってしまった。。。」と思っていたのですが、延長10回一点を入れて、勝ちました〜
仕事中だったので、全部を見た訳ではないのですが、同点になってからはもう手にあせ握る感じ。
打って〜走って〜取って〜押さえて〜などと心の中は大絶叫。
きっと見ている人みんなが祈っていたと思う。もちろん駒大苫小牧を応援していた人ばかりでなく、大阪桐蔭を応援していた人も。


ふと思ったのだけれど、テレビの前で、またはスタンドで祈っている人ってどれくらいいたのだろう。祈りの中身は、どちらのチームを応援しているかによって違うのだけれど、きっとすごい数の人々が祈っていたはず。
もちろん応援しているチームには勝って欲しい。でも頑張れ〜っていう気持ちを通り越した、この祈りっていうのはなんなんだろう。
私にとっては、どちらのチームが勝っても利害には何の関係もない。どちらのチームもすごく頑張っているし、相手チームが憎い訳でももちろん無い。
でも祈る。私だけではなく、大勢の人が祈る。
人の中にある、身内意識がそうさせるのだろうか。利害がなくても、相手が憎い訳ではなくても祈るんだもの。でもその祈りは決して相手を貶めようと思っている訳ではないのよ。相手のチームにだってもちろん尊敬の念も抱くのだし。


話しは飛躍するのだけれど・・・
高校野球に対してでも、これほどまでに熱くなってしまうのが人間なのだとしたら、戦争になったらどれほどの祈りを、どれほどの念を人は込めるのだろう。
利害や憎しみを含んだ祈りってどれほどのものなのだろう。そこには苦しみや悲しみも含んでいる。
そう考えてみると、人の思い、祈りっていうのが、なんだか恐ろしいような気がする。
なんだか祈りが形を成すような気がして、その周辺に渦巻いている姿が目に見えるようで、なんだか恐ろしい。
いや、やはり話しが飛躍し過ぎですね。
人を貶めるような祈りは、きっと恐ろしいのだけれど、高校野球はそうじゃないものね。


私はきっと明日も祈るでしょう。そしてあちこちで祈る人がいるでしょう。でもどちらのチームを応援していても、きっと選手たちには、追い風になるような気がします。
決して、祈りが強い方が勝つなどとは思っていませんよ。