キレる〜・・・つづき

昨日ブログをアップしてから思ったのだけれど、どうも私は勘違いをしているようです。
思いやりと自主性。これが混同してるみたい。
ただ自主性のなかに、思いやりっていうのが含まれているような気がしています。


自主的に動くより、受動的に動くほうが楽です。
自主的というのは、何も率先して何かをやるということばかりを指している訳ではありません。
考えるってことなんだよな〜って気がします。
私はよく「考える」という言葉を使うけれど、これは表面的なことに惑わされないということを含んでいます。
例えば、人に何かを依頼して断られたとする。それは、本当にイヤで断ったのか、遠慮なのか照れなのか・・・まぁ見極めよ、ということですね。
表面的な言葉だけを鵜呑みにせずに、ちょっとした態度、言葉尻に何か表れているはずだから、それをキャッチする感性を身に付けたいなぁ〜っていう自分の願望なのだけれど。


思いやりっていうのは、その人が何を求めているか考えないと出てこないと思うんですね。
だから鈍感な人は、人を思いやることが出来ない。
受動的な人も鈍感な人が多いと私は思います。考えることを停止して、目の前にあるものだけを処理する。人との関わりも、仕事も。


まぁ結論は昨日と一緒。それを相手に求めすぎてしまう私に問題がある。
それに私が鈍感じゃないとは、言い切れない。