スランプ

私はスポーツに熱中する人が好きです。
それは、私は運動音痴だし、あまり何かに熱中したことがないから、無いものねだりの憧れっていう感じなのですが・・・
今はもうしていなくても、学生の頃に何かスポーツを一所懸命やったって人もOk。
私が持っていない何かを持っているなぁ〜って感じることが多いです。


私が持っていない何か・・・
今日ほぼ日の山田ズーニーさんのコラムを読んでこれだ〜って思いました。
「スランプを乗り切る」
何でも続けようとするとスランプがやってくる。それは文章を書くこともそうなのかもしれないけど、もちろんスポーツも。
私がスポーツに熱中した経験がある人が、好きなのはそういう理由なんですね。
正確に言うと、スランプを経験してそれを乗り越えた人。
本当はスポーツじゃなくたって構わないです。ただそれが分かりやすいっていう理由なだけなんですけど。


何だって続けようと思ったらスランプってあると思うんですね。スポーツも仕事もこうやってくだらないブログを書くことでさえ。料理だって、対人関係にだって、スランプってあると思う。
でもね〜そう言う時、逃げちゃうんだな。本当に辛くて、逃げないと自分が壊れそうだから逃げるのとはちょっと違う。「えぇ〜いもう面倒くさい」っていう逃げ方をしてしまうんですね。
こうやって逃げてしまったら何も変わらないですよね。


そう言う風に逃げなかった人。スランプを乗り切った人。
その技術がひと回り、またはそれ以上大きくなっているのはもちろんのことなのですが、人間としても器が大きくなるような気がします。
それを乗り越えた人だけが味わえる何か。
それは自信とか寛容さとか思いやりとか・・・そういうもののような気がします。


私は、っていうと。。。まぁ出来ていないから「好き」とか「憧れ」とか言ってる訳で・・・
もうそろそろ何かにぶち当たって、それを打破するときなのかなぁ〜なんて思っております。