「血い花」


血(あか)い花

血(あか)い花


室井佑月さんの短編7編。
中でも、表題作の「血い花」と「野薔薇の鉢」が良かったかな。


室井佑月さんの本に出てくる女性っていつもどこかが不幸な感じ。
「血い花」の幸は、韓国人で私生児で貧乏。この不幸を掘り下げて、そこにこだわって書かれていないところに好感。(これは解説にも書かれてますね。)


人って誰もがちょっとずつ不幸なんだと思う。端からみたら何てことないことでも、やっぱり誰もが何かを抱えていると思う。鼻がちょっと上を向いているとか、背が低いとか、そんなことでも不幸の種になってしまうんだと思う。
だからコンプレックスを持っていたり卑屈になってしまったり。
「韓国人で私生児で貧乏」も「鼻がちょっと上を向いている」もここでは同列に扱われていて、どちらも同じくらいの意味しか持っていない。


幸は22才、美しくて聡明で、銀座で5本の指に入るホステス。でも処女で幼なじみの誠にプロポーズされてそれを受け入れてしまう。このアンバランスさがなんだか不幸だなぁ。
お金や権力や地位といった、人間のどろどろとした側面にどっぷりと浸かって、愛や情といった(これもまたどろどろとした)側面を排除して生きてきた。
でもこれは、幸のひたむきさ故のことなのでしょう。ひたむきさ故、このアンバランスさを生み出しているのだと思います。


でもバランスが良いことが幸せだとは思わない。不幸が悪いことだとも思わない。
泣いたり笑ったり、楽しんだり苦しんだり、そんなことを繰り返しているのが、幸せなんだと私は思っているから。その渦中にいるときは、あまり気づけなかったりするけどね。
子どもの部分がまったく無い人なんて、きっと何の魅力もないと思う。私はいつも精神的に大人になりたいなどと思っていますが(年齢は立派過ぎる程大人よ)、どこかで子どもの部分を忘れたく無い、捨て去りたく無いって思っているのでしょう。
だから幸のこのアンバランスさに「不幸だなぁ」という感想を持ちながらも、そうやって抗って、ひたむきに生きて行くのが良いよねって思います。


なんだか何が言いたいのかよくわかんないなぁ。。。