仕事。

また仕事の話しです。今は頭の中がそれに汚染されているのだから、仕方が無い。


やればやるほど会社側からの要求っていうのは、きつくなってくる。
これが成長期ならば、要求されることが楽しくて仕方が無いでしょう。でも、もう数年も同じ仕事をやってきて、成長という意味では、自分の限界なんて見えてくる。
思いきったことをやらせてもらえるならば、新境地を開くことも可能だと思うけれど、籠の中の鳥のような状態で、どんどん要求だけ高くされても限界です。
会社員っていうのは、その要求に応えられなかったときの評価を気にする生き物なんだなぁって思います。
出来ないっていう評価は、出来るという評価に比べて、強烈に人の心に残るということを知っているからだと思うんですが・・・


どんどん高くなる要求に応えようと思ったら、何かを犠牲にしなければならない。
時間・・・寝る時間、食事をする時間、ちょっと頭を休める時間。もちろんテレビを見る時間も、本を読む時間も、人と会う時間もある訳がない。
それらを犠牲にしてもやる価値があるものだと思えば、苦にはならないでしょう。
でもそれらを犠牲にする価値がないと思いながらやっている仕事は、時間だけじゃない。心も犠牲になってるんだなって思う。
どんどん心がすさんでくる。何故?どうして?何のために?そんな風に考えながらやっている仕事なんて、もう苦行そのもの。苦の先にあるのも苦。やればやっただけ、また要求が高くなるんだもの。


今日、先週からやっていた仕事に一区切りついた。まだまだ断続的に忙しさは続くのだけれど、区切りがついたことにちょっとホッとした。
で、上司の一言。「やろうと思えば出来るんだから、これからもこの調子で。」
はぁぁ??何言ってるのこの人。上司のその言葉は、宇宙人の言葉と同じくらい私の心には届かない。文化も感性もまったく違う、理解しあえるモノが何もない星に住んでいる人が、言っている言葉のように感じた。
で、言っちゃったのよね。「やれと言われればやります。でも方向性に疑問も感じているし、やっていることは、本意じゃない。」って。まぁ端的にいうとこんな感じ。
多分、会社員としては失格ね。わはは!


でも落ち込んだんですよ。
犠牲を払いながらやっているっていうことを彼は理解していなかった。私の心がすさんでいっているのを彼は、感じていなかった。
彼が私のことを理解していなかったから、落ち込んだわけではありません。
結局、私は自分のことを理解して欲しかったんだ、ってことに気が付いて、落ち込んだ。
上司に自分のことを解って欲しいって思っていた自分が、イヤになった。
なんだか情けな〜い。また自分のこと「解って、解って」オーラを出してしまった。
やっぱりちゃんと伝えなきゃ。方向性に疑問を感じているのなら、その疑問をぶつけなきゃ。納得出来るまで話し合わなきゃ。とりあえずやっておいて、本意じゃないなんて理屈は、通る訳が無い。


で、落ち込んで帰宅したところへ友人から電話。
私の仕事の話しなんてこれっぽっちもしなかったけど、なんだか心が晴れた。
久々に仕事から頭が離れた気がする。
仕事してれば思う通りになんて進まないことなんてたくさんある。それを鬱々と内側に溜めても仕方が無い。主張するところは、ちゃんと主張しよう。主張が通らなくて納得出来なければ辞めるか、それともこうやって他に楽しいことを見つけて折り合いを付けて行くしかない。


こんなことは、まだまだきっと続く。でももう辞めた〜って思うまで、グチグチしながら続けて行くんだと思う。
そして、イヤなことと同じくらい、良いことがあればそれで良いかって思う。