先生の退職

今日は月に一度のパン教室へお稽古ごとです。
私が通っている教室は、月曜から土曜まで、午前と午後、常に2クラスが稼働している大きな教室です。
先生方も何人もいらっしゃって、代わる代わるクラスを受け持って、教えています。
今日、私のクラスの先生から辞めるという話しがありました。
60代前半で、話し方も柔らかく、教え方も丁寧、人柄も良く、すごく素敵な先生だったので、とても残念です。
よく話しを聞いてみると、今年の夏に義理の父親が倒れ、その介護をしなくてはならない。自分の母親も少し離れた街に住んでいるが、もう90才を越えていて、面倒を見るために頻繁にそちらへも通わなくてはならない、というのが退職の理由でした。
家庭の事情ですから、仕方ないですね。もちろん残念だし、寂しいなって思います。好きな先生ですから、辞めて欲しく無いっていう気持ちはあります。でも「辞めないでください。」と言ったところで、何が変わるというのでしょう。


一部の人たちは、「辞めないでください。」と先生に言ってました。それは先生を慕っているという、表現方法の一つなのかもしれません。自分の気持ちを素直に表現しているだけなのだと思います。
でも私は、そういうのが好きじゃない。
もう決めてしまったこと、決まってしまったこと、辞めたくて辞める訳ではなく、やむを得ず辞めて行く。その心情を汲み取ることくらいしても良いのでは?という気がします。
「辞めないでください。」という言葉は、あまりにも軽率で、身勝手な言葉のように感じます。
ただ、自分の気持ちを素直にぶつけている人から見ると、私の淡々とした姿というのは、冷たく写るのでしょうね。


生徒側から見ると、事実は「先生が辞める」ということだけなんですね。介護の問題も先生の心情も、自分には直接関係がない。「辞める」という事実だけが浮き彫りにされる。
人って、長々とした話しのなかでは、自分に必要なことだけをチョイスするんだなぁと思います。そして、それをぶつける。
「辞める」と言う部分は、日本語で捉え、「介護・やむを得ない」という部分はスワヒリ語くらいにしか聞こえていないのでは?と思います。


そんな事例は山ほどありますけどね。
自分は日本語で話しをしているつもりでも、聞く方がスワヒリ語だと思ってしまう事例は。
それとは逆に、相手は日本語で話しをしているつもりでも、私がスワヒリ語にしか聞こえていないってことも、きっとあるのだと思います。
そして、スワヒリ語を聞いた人は、それをスワヒリ語だということも認識出来ず、身勝手な思考を巡らしてしまうものなんだなぁって思います。