自己分析。

びっくりした。たじろいた。稀有なことだと感嘆した。


昨日書いた元彼の転勤の話し。転勤話しなんて別に驚くことではないのだけれど、「もしかしたらまた一緒に仕事するかも」と思っただけで、狼狽えた自分に驚いた。
何故、これほどまでに狼狽えたんだろう?ということが頭から離れない。
私は彼に限らず、過去に付き合った男の人にほとんど未練が無い。恨んだり、憎んだりしている人も独りもいないが、今でも男の人として好き、と言う人もいない。
感謝してる人は多い。申し訳ないことをしたなぁと思う人も数人いる。
今でも連絡を取り合っている人というのは、ほんの2.3人。その中でも彼は、一番身近な存在であることは、間違いないのだが・・・


彼に対する感情を自己分析してみた。
一番最初に思い浮かんだのは、「信頼」。次が「尊敬」。その次が「コイツあほだよな〜」って感じ。
「信頼」は人として信頼するに値する人だと思う。「私のこと絶対に裏切らないだろうなぁ」なんて思わないけれど、もしそうなったとしても彼なりの理由があるに違いない、と思えるような人。猾いところが無いし、言い訳もしないからかもしれない。
「尊敬」は仕事に対しての姿勢。彼は、今の仕事に執着して転勤を悩んでいたけれど、それだって人を思いやってのことだっていう意味もある。自分一人だけのことじゃなくて、全体のことをを考えて、人の気持ちも考えて、バランス良く事を進められる器量がある。上に媚びず、下にへつらわず。
なんだか褒めまくっているが、それでも「コイツあほだよな〜」とも思う。
酔っぱらって「寂しい」って電話してきたり、寂しさ紛らわすのにお小遣いをキャバクラに注ぎ込んだりと、あほさ加減も相当なものだ。私がどんなに怒ってブチキレても、数日たったら何事も無かったように電話してくる姿もかなりあほだと思う。


私は彼のことが人として好きだなと思う。本当に人として。
でも、「信頼」も「尊敬」も「あほだな」って思うことも、男の人として好きになる要素としては欠かせない。その要素を兼ね備えた彼が、やっぱり恐いのだと思う。
所有欲は全くない。「あの時別れていなければ・・・」などと思ったことも、今まで一度もない。
それはあの時、ちゃんと恋愛したからなんだと思う。もう思い残すことが無いくらい、ちゃんと向き合って、ちゃんと別れた。
でも、その所有欲がまったく無いところが恐い。所有しなくてもいい。ただただ好きだ、と思う日が来るのではないのかということに怯えて、狼狽えた。


自己分析としては、こんな感じかな〜
狼狽えたところで、何も変わらないし、あるがままを受け入れるしかないんだろう。その辺は腹括った。
それに自己分析なんて、本当はムダなことだ。人の感情なんて、分析してどうこうなるもんじゃない。


でも本当はちょっと違う気もする。
一番見逃してはいけないのは、私が彼に甘え切っていたことなんだと思う。
愚痴を言ったり、八つ当たりしてみたり・・・それでもいつも受け止めてくれていた。
男女としての感情がそこへ加わったら、そんな風に甘え切ってもいられない。支えて欲しいが、支えなくちゃいけない。そこを私は回避したがっているのだろう。結局、美味しいとこだけとりたいんだな。私は。


私がこんな風に思っているだなんて、彼は知らない。「俺のこといつも足蹴にして〜」なんて思いながら笑っているだろう。
それで良いと思う。こんな風に思っているってこと、伝えるつもり全然無いから。