何だかよく解んないけど。。。

最近男と女について考えていた。別に恋愛の話しじゃないですよ。
男らしさ、女らしさと言い換えることも出来ると思うし、男の性、女の性と言い換えることも出来ると思う。
私はジェンダーフリー論者じゃない。かといって女らしさ男らしさを追求しようなんて思いも全くない。男は外で働き、女は家を守るという発想も微塵も持っていない。
昔のそういう考えっていうのは、ただ単に役割分担だったのだろうなぁ、という気がする。昔は、今と違って家事も重労働だったと思うし、外でお金を稼ぐことも肉体的に今より苦労が多かったのでは?と思う。そんな世の中で、一人の人間がどちらの役割も果たすことは実質的に難しかったのでしょう。だから協力し合って、生活を成り立たせる。適性としての女らしさ男らしさが生まれたのではないのかなぁ。


今の世に置き換えてみると、仕事の出来ない女や家事の出来ない男、どちらもあまり魅力的だとは思えないんですよね。
どちらも生きていくために不可欠なことですし、どちらを行うにしても性が障害になるとは思えない。家事が出来ないのは、ただやらないだけだし、仕事もまた然り。
やろうと思えば出来るけど、誰かと一緒に生きて行くための役割分担として、やらないっていうのはアリだと思いますが・・・
男に男らしさを女に女らしさを求めるのは、何かが違う。
考えてみれば、自分の中で女らしさを追求しようと思ったことはほとんど無いような気がする。それは、私は放っておいても女だし、必要以上に性的対象物として見られることに嫌悪感を感じる。
どちらかというと、男らしさを自分の中に積極的に取り入れようとしてきたんじゃないかなぁ。
しかし、やっぱり放っておいたらただの女だと思うことも多々あるのですよね。


最近いろいろな事が怖いのですよ。怖い目にあったと言う方が良いかもしれません。
別に腕力でねじ伏せられそうになったとか、そういう事ではないけれど、いろいろなことに恐怖心が付きまとう。
別に恐がりな性格ではないですよ。ホラー映画も平気だし、幽霊スポットも割と平気だし。
う〜ん。。。夜道を一人で歩くのが怖いとかそういう感覚に似ている。
一人で夜道を歩いていると、後ろからヒタヒタと足音が聞こえる。こちらが早足になると向こうも早足になる。走って逃げ出したい衝動に駆られるけれど、走り出すと捕らえられそうな気がして、足がすくんでそれも出来ない。ただひたすら背中に神経を集中させ、どこかに引きずり込まれないことをを祈り、何事もなく無事に家に帰れることをひたすら願う。
精神的にこういう感覚に捕われることが、最近よくあるっていう話しです。
そして、そういう状況に陥ったときに、無意識に誰かに助けを求めてしまう。誰かに庇護されたい衝動に駆られる。
庇護してくれる人が現れたなら、その人に身を任せ、預け、ようやく張りつめた神経から開放される。そして、その開放された気分が快感となり、またその感覚を求め、身を任せたくなる。
これが、女の性なのか・・・と最近思う。男の性とは、そういう女を見ると庇護したくなるってことなのか。。。


普段は庇護したくなるようなタイプの女じゃないのよね〜
ただ、いざっていうときには、それを受け止めてくれるような男の人がやっぱり好きだなぁ。そうじゃない男の人は、どんどん私の中から遠のいてゆくのだなぁ、と思った。
結局私は何を求めているのだろう、と思う。庇護されることなのか。もしそうなら相手に私は何を与えられるのだろう。やはり欲しいだけのご都合主義なんだろうか。。。