方向転換

 最近ちょっと考えていたのだけれど、このブログの内容をちょっと方向転換しようかなと。。。ちょっとだけだけど。
 今までもみっともない自分とかそんなことばかり書いていたのだけれど、もっと生っぽい自分もあるわけで、そういうのも少し書こうかしら?なんて思っています。
 最近ちょっと生っぽいことが多くて、でもなぁ。。。さすがに書けないよなぁ〜なんてことも多かったんだけど、どうして書けないんだ?よく考えてみたら書けない理由なんて、自分の内側の問題だなぁ。。。と。
 自分のために書いていることなのに、いい人ぶっても仕方が無い。反発反論が別に怖い訳では無い。
 自分に制限をつけるのを止めよう。そんな風に思ったのでした。


 最近ちょっと更新が滞りがちな理由は、飲み会続きだっていうのもあるんだけれど、私の身の回りには生っぽいことが多すぎる。
 ちょっと前まで、このブログには変なウォッチャーがうようよしていたのも解っていたので、そういう人達にこの生っぽさを晒すのはすごく抵抗感があった。
 最近ようやく落ち着いたみたいだし、あくまでも自分のために書いていることだから、そろそろ自分に正直なことを書こう。


 数日前の飲み会で、うぇんうぇん泣きながら飲んだんだけど、そのとき吐き出せて良かったって本当に思った。
 知識だって経験だって、インプットすることで身になる訳じゃないってことが最近解って来た。インプットしたことをアウトプットすることにとって初めて自分の身になる。
 感情も同じではないかな?
 感情は鬱積してゆく。
 鬱積しているうちは、自分の幼稚さとか未熟さとか傲慢さも気が付くことが出来ない。自分の内側から外側へ出した時に初めて、その本質に気が付くことが出来る。
 泣きたいけど泣けない。そんな状態が私もしばらくあったのだけれど、それはまだ感情が成熟していなかったからなのではないのかなぁ、と思う。成熟してようやく外へ出せて、身になる。
 「身になる」っていう言い方は適切じゃないかもしれない。
 感情の場合は顕在化する、と言った方が正しいかもしれない。成熟してようやく顕在化することが出来る。
 でも、顕在化しようと思ってうんうん唸らないと、なんだかよく解らないまま時って流れてしまうんですよねぇ。
 ただぼんやりと流れている出来事を眺めていても何も変わらないって思う。
 意識して物事を向き合う。それでもみっともない自分はそうそう変えられないけれど、みっともない自分を「みっともない」って自覚はしていたいなと思う。


 えぇ。相当にみっともないですよ。情けないですよ。全然成長してないなぁって思ってますよ。
 でも、そのみっともなさを外へ出そうって気になったんだから、少しはマシかもなぁ、なんて思います。