可哀想

 最近「可哀想だなぁ〜」と思う人がいる。
 私は人のことをめったなことでは「可哀想」とは思わない。
 例えば、動物だったり、小さな子供だったり、そういう者には思うこともあるけれど、対等な人間に対しては、思うことは滅多にない。
 もし、思うことがあるのなら多分ちょっと蔑んでいる。哀れんでいる。「可哀想」と言う言葉はなんだか相手に対して失礼な気がしている。
 でも、最近そう思う人がいる。
 それは、会社の後輩。
 春に大学を卒業して、入社一年目。入社一年目の社員に会社が、求めているもの。元気さだったり、明るさだったり、素直さだったり。
 その点は、申し分無い、と、思う。多分。周囲の評判はすこぶる良い。けどねぇ。何かが違うんだよなぁ。


 彼女は「ありがとうございます」「すみません」を口癖のように何度も言う。「はい」の返事もきちんとしているし、最初は耳障りは良かった。でも、その言葉は反射的に発せられていて、何の意味もない。
 ファストフードの店員が、お客さんをみると「いらっしゃいませ」と反射的に言うのと似ていると思う。
 こう言う場面では、「ありがとう」と言う。ああいう場面では「はい」と返事をする。彼女の中で何かがマニュアル化されていて、その通りの言葉を発しているに過ぎないのではないのかな?と最近思うようになった。
 仕事の説明を私がすると、「はい、はい。」と素直に聞いている。「解ったの?」といえば「はい。」
 「じゃぁ、やってみて。」と言っても「はい。」。
 でもこの時点で、私は「絶対に解ってないよなぁ。」なんて心の中で思う。しばらくすると、「すみません。解らないんですが〜」なんてもう一度聞きにくる。
 まぁ、それでまた説明をする。そして「はい、はい。」と彼女は聞いているが、また時間が経つと「すみませ〜ん。」なんて言いながらやってくる。
 私にとっては、不思議でならない。そりゃ、やってみて始めて疑問が出てくることも多々あるけれど、そう言うレベルじゃない。彼女は理解していないけれど、そういう場面では「はい」ということがマニュアル化されているようなのだ。
 解らないけど、とりあえず「はい」って返事しておけばいいかぁ〜なんてことを考えているわけじゃない。なんて言うのかな。上手く表現出来ないけれど、決していい加減な気持ちで返事している訳じゃないのよ。彼女は大真面目。


 多分彼女は、反射的に動くことで生きている。何にも考えていないのよ。そして、自分が考えていないってことにも気づいていない。考える前に言葉を発していたり、動いていたりする。
 これはもう習性になっているから、そういう自分に気づいてよほど本気で直そうと思わない限り変わらない。
 彼女の中のマニュアルは、A=1、B=2と言う風になっている。そうマニュアル化されている。じゃあ、A`は?と聞かれれば、もうマニュアルにないので、答えを導き出せない。ちょっと考えれば、A=1なのだから、A`は1`かな?くらいのことは想像が付きそうだけれど、彼女にはA`=1`だよ!というマニュアルを与えてあげなければならない。それが自分のマニュアルになるまで、覚え込まなきゃ何も出来ない。
 なんて大変なんだと思う。
 ちょっと考えればA`だってB`だってC`だって答えは解るはずなのに、彼女はそのひとつひとつを自分のものになるまで覚え込まなきゃならない。
 仕事も日常の会話も全てがそんな感じ。彼女のマニュアルにあることは、「良く出来ました」の二重丸をあげてもいいが、それも優等生的模範解答。そしてマニュアルにないことは、まるでダメ。


 別に彼女のことをけなそうっていう訳じゃない。
 どうしてそんな風になっちゃったのかな?って思う。もともとの性格的なものもあるのかもしれないけれど、なんて言うのかな。なんだかとっても自由度が少なすぎる。
 多分彼女は、自分の本音を打ち明けるとか、そういうことが苦手だろう。マニュアルにない感情的な部分を表現出来ないだろうと思う。
 もっと自由でいいのになぁ。
 感じたり、考えたりすることは自由だし、それを表現したっていいのになぁ。
 解らないことを解らないって感じられないんだ。A=5っていう発想をしたっていいのになぁ。そんなのつまらないよなぁ。だからと言って何も感じない訳ではないのだから、その置き去りにされたものは、どこへいってしまうのだろう。


 長々と書いた割には、思っていることがまったく上手く書けないのだけれど、そんな彼女を「可哀想だなぁ」と私は眺めているのですよ。