悲しみと怒りと。

 昨日の夜、凹む出来事があった。
 何で凹んだかは大した問題じゃない。いつものことなので。
 廻りの人には結構サバサバとした性格だと思われてるし、自分でもそうだと思っていたのだけれど、実は小さなことでクヨクヨとする性格なんだなぁ。。。と、最近になって気づいた。
 自分自身のことはよく解っているつもりなのに、この年になっても気づくこともまだあるんだな〜などと客観的に眺めてる。当り前か・・・
 昨日は、本来であれば怒りまくって、当たり散らしても良いような出来事だったと思う。ところが昨日は落ち込んだ。
 もう悲しく悲しくてて仕方が無い。その状態のまま今日を向かえ、今日も夕方くらいまでは結構落ち込んでいた。
 私は短気だし、本来は怒りっぽい。でも、昨日は怒ることが出来なかった。どうしてなんだ?きっと怒った方が精神的には楽だっただろう。


 昨日の私と普段の怒りっぽい私の違いを自己分析してみる。相変わらず意味のない、くだらないことだとは解っているが・・・
 普段の私は、結構つまらない女だと思う。頭が固い。正しいことが好きなのよ。全て正しいことなんて出来ないけれど、そこに向かおうという気持ちはある。向かおうという気持ちがなくなったら、そこへはたどり着けない。そこへ向かう気さえ無いもの。出来る出来ないは別として、気持ちの無さに腹を立てることが多い。自分の考えが正しい。そうするべき!という押しつけがあるんだろう。
 あぁ〜こうやって文字にすると本当につまらん押し付けがましい女だな。。。
 昨日の私はどうだったかって言うと、同じく気持ちの無さというものに直面したんだけど、「人の気持ちなんて変えられない。無いものをあることになんて出来ない」と思って凹んだのだった。。。


 結局は怒るのも悲しむのも同じことだ。自分の思い通りにならないことを嘆いているに過ぎないんだな。怒るのは、変えることが出来るかもしれないっていうおごりだ。悲しむのは、変えることなど出来ないっていう諦めだ。そのくらいの違いしかない。
 そのどちらも身勝手だなぁ。。身勝手で何が悪い!とは開き直れない。
 私が怒るっていうことは、怒られる人がいるってことだ。私が悲しむと一人で悲しんでいる分には全然構わないけれど、人に気を使わしてしまうことも多い。
 身勝手さを自己完結させるには、(そんなこと出来るのか?)外ではやせ我慢だろうが、カラ元気だろうが何でもいいけどにこにこして、一人になってからどっぷりと落ち込むことくらいしかないんだろうな。
 しばらくその路線で頑張ってみるよ。
 でも、どうしても耐えきれなくなったときは、誰か助けておくれ。。。