寄付をするということ

ほぼ日刊イトイ新聞 - TARO MONEY


 会社で過ごす昼休み、私は大抵ほぼ日に目を通す。目を通すと言っても全て読む訳じゃないし、興味があるものをさらっと。
 昨日、上にリンクを貼ったページを読んだ。
 募金、寄付・・・自分のお金を誰かに役立ててもらうこと、そのことについてちょっと考えてしまった。


 巷にはたくさんの寄付を募っている団体がある。インチキなところも多いと思うが、真面目に取組んでいるところもたくさんあると思うし、その内容も多種多様。
 大きな災害が起きた時などは、にわか偽善者になってほんの少しだけ寄付をしたりするけれど、それがなんだっていうんだ、っていつも思っていた。偽善者なのは構わない。それでもしないよりはした方が少しはマシだと思うから。だけど、にわか偽善者となるとなんだか違う。そういう自分をみっともないな、なんて思う。


 どちらにしてもほんの少ししか提供することの出来ない私は、どこにするべきなんだろう?といつも思っていた。これほど多種多様な団体があるのだから、自分が心を動かされたものに対してするのがベストだろうけど。飢餓、難病、環境問題、貧困、教育etc・・・
 どれが最優先ということではなく(どれも深刻な問題だ)同調出来ればすればいい。でも、募る側の顔が見えないことも多い。本当にこの団体は信用していいのだろうか?本当にちゃんと届けられているのだろうか?
 しかし、だからと言って情報開示を強く求めるのもなんだか違う気がしていた。そりゃ、寄付をする側としてはきちんと使われて欲しいと願いはするが、大した額をする訳では無いし、その労力を考えればそれを使ってもらう方への時間にあてて欲しいという思いもあった。


 でもなぁ。。。
 やっぱり信頼関係だよな。寄付をする人、募る人、それを提供してもらう人、この信頼関係なんだなぁ。
 何を基準に信用するかは、人それぞれだろうけれど、とにかく託すしかないのだろうな。
 やっぱり顔が見えると安心するな。募る側の思いが伝わると、大きな広がりになるんだろうな。


 なんだか何を言いたいのかよく解らなくなっちゃったけど「募る側もこんなに真剣に、寄付する人のことを考えてくれることもあるんだ」っていうのが、ちょっと嬉しかっただけです。