鏡
数日前、ヨガ教室の日だった。
身体が人一倍硬い私は、一番後ろの目立たないところでひっそりとその教室に参加していたいのだけれど、後ろの方はびっちりと人がいて、先生の目の前、一番前の鏡の前しか場所が空いていなかった。
仕方なくその場所にヨガマットを敷き、教室が始まる。
うわっ。本当に身体が硬い。鏡に写っている私は、どうみても一所懸命やってるとは思えない。(かなり一所懸命ですが……)うぅ〜 太腿が、足の裏の筋がピンと緊張して、次第にぷるぷると震えてくる。
そして、視線を鏡に写った硬い身体から自分の顔へと移してみると、仏頂面をした私がいた。
美容室へ行って、鏡の前へ座り雑誌を読む。
美容師さんに話しかけられて、ふと顔を上げてみると、そこには大抵不機嫌そうな口角の下がった私の顔がある。
話しかけられたことに応えようと口を開きだすと、その不機嫌さはどこかへ行ってしまうのだか、雑誌を読んでいる私の顔は不機嫌そうだ。
朝起きて、顔を洗いに洗面所へと向かう。
鏡に写った私は、いつも眠そうな顔をしているが、そこには鏡に向かっている私の顔がある。別に笑っている訳では無いが、仏頂面でも不機嫌そうでも無い。
鏡の前にいる、という姿勢が出来ているからだ。
誰かと話しをするときも(本当に不機嫌なとき以外は)それほど不機嫌な顔をしている訳では無いだろう。
何にも意識をしていないとき、いつも不機嫌そうな顔をしているのだろうなぁ〜 なんて思った。別に不機嫌な訳では無い。何かを意識しているときは、取り繕ってるからという訳でもない。
しかし、無意識なときほど、その本質のようなものが出るのでは? なんて思うと、私は不機嫌な人間なのではないだろうか? などと思う。
確かにご機嫌な毎日じゃない。
昨日、今日と久しぶりに古くからの友人と会って、ご機嫌な時間を過ごした。もう少しこのご機嫌な時間を増やさなければ、無意識の不機嫌から抜け出せないような気がする。
友人と会うだけが、ご機嫌の方法ではないけれど、自分の中のご機嫌をもっと増やさなければ。
結構マゾなので、苦しいことや悲しいことを買って出る癖があるのだけれど、ご機嫌を創造する生活を心掛けてみようか、なんて思います。
それに不機嫌な顔って老けて見えるし。