叱る
あぁ。。。 どうでもいいこと思い出しちゃった。
高校生の頃、あたしはよく親に叱られていたんだけど、その頃のことを。
理由なんてそのお年頃によくある(?)「夜遊びするな」とか「ちゃんと連絡しなさい」とか「学校真面目に行け」とか。。。
結構無鉄砲だったので、よく学校さぼったり、夜遊びしたりしてたもんなぁ。。。
そんな風に叱られても「解ってるよ!」なんて言うだけで、実はちっとも反省なんてしてなかった。「うるさいなぁ」くらいにしか思っていなかったよなぁ。
これって、なんなんだろ。
もちろん親が言っていることは、きちんと耳には届いている。でも心には届いていないんだよね。
高校生のあたしは、それを受け取る態勢がなかったからなんだろうと思う。親は真剣に伝えようとしていたのだろうけど。
今日、人を叱ってしまった。真剣に。
そして今、それがその人の心に届いているのかどうか、気になって仕方が無い。
怒っている訳じゃない。だから、心の中がざわざわするようなイヤな気分になっている訳でもない。
怒るときって、瞬間湯沸かし器みたいな感じだけど、もっとじわっと熱を帯びているような感じ。多少熱くならなければ、人を叱ることなんて出来ないんだろうと思う。人を叱るにもエネルギー使うもの。
怒ることはエゴ丸出しで、そのことによって自分がすっきりしたりすることもあるんだけど、叱るのは相手に対するエネルギーしかないのかもしれない。
損得で考えれば、損をしてるかもしれない。ただ「うるさいなぁ」と思われただけかもしれない。それでもいいと思った。
別に「相手のためを思って……」なんて殊勝なことを考えてる訳じゃない。でも、自己満足で叱った訳でもない。
なんだかよく解らないけど、ちゃんと伝えなきゃと思った。
話しは飛躍するけれど……
例えば、自殺しようとするとか、人を殺そうとするとか…… そういうことをしようとしてる人がいたら、あたしは叱ることがあるだろうと思う。
一般的な道徳観とか、そんなことは関係ない。
とにかく、あたしはそんなことをする人がイヤだから。何がイヤかっていうと、そんなことをする人を信頼出来ないからなんだと思う。
きっと、あたしが叱る相手というのは、あたしが信頼したい人だけなんだろう。
当然のことながら、人の生死に関わる問題だけじゃない。あたしに対する被害の有無でもない。
叱るということは「あなたのことを信頼していたい」というシグナルなのかもしれない。
叱った相手の心にもし届いていなかったら……
もうその人を信頼出来なくなるかもしれない、そういう思いがあるから相手がどう受け取ったのか気になって仕方が無いんだ。
ちゃんと心に届いていて欲しい。
まぁ、大袈裟に書いた割には、叱った理由は大したことじゃないんだけど…… でも、あたしにとっては譲れない部分だっていうことは、間違いない。
それにしても、今まで親にさんざん叱られて、それを「うるさいなぁ」くらいにしか受け止めて来なかったあたしは、親の信頼を裏切りまくってきたんだろうな。
もし、今日叱ったことが相手の心に届いていなかったら、親があたしにしてくれたように、それでも叱り続けるのだろうか。叱り続けることが出来るのなら、きっとそれは愛だな。
叱り続けることが出来なかったら、所詮その程度の関係だったってことなんだろう。