大地震

 またもや大地震
 ニュースを見ていると切ないなぁ〜 などと思うが、その「切ない」と感じる自分の感性になんとなく違和感。
 ニュースをただ見ているだけで、一緒に痛がる必要などない。と、いうより当事者の痛みなど解るはずもない。家を失う喪失感。明日への不安。そんなもの寝転がってテレビを見ている人間に解るはずもないのになぜか痛いような気持ちになる。
 他人の身の上を按じることは、大切なことだ。でももっと客観視した方が良いような気がする。痛がったって自分が本当に痛い訳じゃないもの。
 でも、ただへぇ〜 と何も感じずに傍観する方が良いと思っている訳じゃない。明日は我が身と人の痛さを自分の教訓するだけっていうのもこれも違う。
 痛がるな! と思っている訳でもない。当事者が痛いのは、当然。第三者が痛がったってなんの足しにもならんでしょ〜
 当事者がある種の熱を帯びるのは、仕方がないこと。でも第三者はだからこそ冷静に客観的に判断しなきゃならないのでしょ〜
「胸が痛みます」なんて言葉を自分の痛みでもないくせに、沈痛な面持ちで喋る人々に嫌悪感。痛そうな顔したって本当は痛くないんでしょ? とどこかで思う。
 自分のなかの「切ない」などという感情に封印。その感情を否定はしないけれど、もっと淡々と表面を取り繕わなければならないと思う。
 当事者じゃないものの礼儀として。