糸井重里さんの言葉です。(改行勝手に変更)

『せいくらべ』という歌があります。

歌いはじめが「柱のきずは、おととしの」ですね。
こどもが、背の高さのところにきずをつけた柱をみて、いろいろのことを思っているんですね。
「柱のきず」そのものは、ただのナイフの跡なのに、その柱のきずは、見る人にいろんなことを思わせる。

きっと、空に浮かんだ雲でも、道端に落ちている軍手でも、野良猫の昼寝でも、同じようなことがあるでしょう。

そいつは、もともと、たくさんのことを語るつもりじゃなかったのに、眺めている読んでいる人との間に、いろんな思いを生み出してしまう。

いや、世界ってものは、そんなことばかりなのかもしれません。


 そんなことばかりなのです。
 ただのナイフの跡は、郷愁を誘う材料かもしれないし、成長を喜ぶ証なのかもしれないし、もしかしたら嫌な思い出を引き出す引き金にもなるかもしれない。

 何かを見て、何をどう感じるかは、その人次第。
 何かを見て、ぽわんとした暖かい気持ちを引き出せる人は幸せな人なんだと最近思う。
 何かを見て、それが一般的には暖かい風景だったとしても、自分が味わったことの無いものを羨んだり、手に入れられない寂しさを感じたりする人はどうなんだろう。不幸何だろうか。
 不幸とはちがうかもしれないけど、悲しい人だと私は思う。

 何かを見て、何をどう感じるかは、その人次第。けれど、ぽわんとした暖かい気持ちを引き出せる人でありたいと思う。けれど、そんなことをコントロール出来るなら苦労なんてしやしない。

 空がみたい。
 特別に晴れた空じゃなくていい。水色の空にぽわんと白い雲がところどころに浮かんでいるような空がみたい。
 確か日曜日はそんな空だったから、ずーっとみていなくて、それに恋焦がれるような気持ちになっている訳じゃないんだろうけど、やっぱり青い空がみたい。
 なんだろうな。冬の寒さや色に辟易しているからかな。
 

すずめ

 朝起きると深々と雪が降っていて、空は灰色。灰色な空から真っ白な雪が降っているのだけれどその雪までが灰色に見える。
 ナナカマドの樹が、気が付くと葉も実もなにも残さずに枯れ木のように寒々と立っていた。確か1月頃にはまだ実が残っていたはずだけれど、すずめがついばんでしまったのだろう。秋の実がたわわになる頃、すずめはナナカマドの実など見向きもしない。この真冬のえさが無くなる頃、仕方なく美味しくもないナナカマドの実をついばむ。そしてそれももう無い。すずめは今、何を食べているのだろうか。



 一年と少し前、人事異動があって今の仕事の担当になった。右も左も解らない。プレッシャーと出来ない自分に対するもどかしさと未知なるものへの不安。叱責されたり、書類を突き返される夢を何度も見た。
 もう本当に辞めようか… とも思った。辞めたら気が楽になるだろうと。でもなんだか釈然としない。
 泳げない人は、泳げるようになりたいと。自転車に乗れない人は、ただ自転車に乗れるようになりたいと。それが出来るようになったからと言ってどうと言うことはないけれど、そういう欲望が自分のなかにあるうちは、まだ辞める訳にはいかないなと思った。


 先日、友人と話をした。
 どうしてあなたは、出来ることではなく、出来ないことへ目を向けるのか? と問われて返す言葉が無い。私は、叱責される夢は何度も見たけれど、叱責されたことは無い。ミスをしたとき、叱責される代わりに「そんなことで命までは取られないから心配するな」と何度か言われた。
 あなたを一番認めていないのはあなた自身だ。自分のことをもっと労れ。自分をもっとやさしく扱え、と言われて救われた。他人に評価されたくてやっている訳じゃない。自分で自分のことを評価したいだけ。その基準が、自分のキャパを越えている。一長一短に身に付くことじゃないことは、最初から覚悟していたはず。一所懸命やっていることを解ってくれている人がちゃんといる。よくよく考えたら日々のなかで優しい言葉をかけてくれる人はたくさんいる。そういう人の言葉を頑なに拒否をしていた自分が恥ずかしかった。



 すずめは、美味しい木の実がなくなれば、仕方なくナナカマドの実をつつく。それもなくなればまた何かを探して歩くのだろう。そうしているうちに春になり一斉に草木が芽吹きはじめる。まだ遠いかもしれなけれど。

徒然

 働けど働けど我が暮らし楽にならず。。。 ってそんなに働いていないけど。。。
 苦を楽と思い続けるには、それなりの精神力、バイタリティーが必要なわけですが、そろそろ息切れかも。な〜んて思いつつ結構しぶといんだよね。

悩み

 しばらく更新しないで何をやっていたかというと、淡々と毎日が過ぎて行っているだけなんだけど、嬉しいことも辛いことや悲しいことも楽しいことも、まぁ、なんとな〜く勝手に積み上がってゆくもんなんだなぁ。。。と。



 今、一番の悩みはthe人事!
 私には4人の部下がいる。その人事をどうしようか。。。最終的な人事権は私には無いが、意見として上司に告げなければならない。なんて告げようか。。。
 4人のうちの3人は現状維持。残り一人をどうしよう。。。


 多分、向いていないであろう仕事を続けることは本人のためにも、周りのためにも良いことなんてない。他部署へ異動して心機一転頑張った方が良いんだろうなぁ〜
 でも、本人が向いていないってことに気付いていない場合は、不本意な異動になるだろうから、モチベーション下がるだろうな〜 とか。(多分気付いていないだろう)
 どこの部署なら彼は上手く出来るだろう? って考えても正直、どこも難しいよなぁ〜 とか。


 仕事に限らないけれど、スタートダッシュが上手い人と、最初は停滞していてもある時期にぐんっと伸びる人がいる。
 彼はまだ最初の停滞期から抜け出せていないだけなのかもしれない。それを抜け出さすのが、私の仕事なのかもしれない。私だって、決してスタートダッシュが得意なわけじゃないし。。。
 このまま数年が経って、単なる停滞期じゃなくてやっぱり向いていなかっただけなのね〜 なんてことになるのはイヤだ。それでも数年経てば、そこそこ仕事が出来るようになるだろうけど、やっぱりどこか劣等生のままなんだろうな。


 そもそも仕事が出来るってなんだ?
 経験とか訓練とか努力そういうもので培うものもたくさんあるけれど、そればかりじゃない。
 要するにセンス。
 何かに気付けること、気を配れること、相手を思いやれること、ポイントを瞬時に判断出来ること、起こりうるリスクを想像出来ること、押せること、退けることetc...
 

 要するに、センスが無いことを努力や経験で補えるだろうか。。。という問いなのですね。

ついでに近況

 夏休みなんぞ縁遠い! 連休が取れないからお墓参りにも行けず。
 それでも全然休みが無い訳じゃなくて、単発のお休みがぽつんぽつんと。
 で、その休みを使って海水浴。ビーチでバーベキューして、ビール飲んで、波の高い海にざっぷんざっぷん入って。
 ホルダーネックの胸元がV字型に開いている水着なんだけど、そのまんまV字型に日焼けしたから、もう今年の夏はスクエアに開いているキャミなんかは格好悪くて着れんですよ。
 三十路女は疲れやすい!それなのに、ぽつんとした休みに海なんぞ行ってたら不健康スパイラル。
 まぁ、楽しかったので良いんだけど。。。
 そんなことしてるうちに、あっという間に夏が終わってしまうんだろうな〜


 9月になったら連休がとれる(と思う)。その時は、遅ればせながらお墓参りに行きます。。。